ささきゅう
僕が未だ学生であった時分のお話。八木山にある学生寮に入居し、ある先輩(以下 T氏)と知り合いになった。近いうちに飯を食いに行こうと約束を交わす。仙台八木山周辺にはあまり詳しくなかったので、どの店にするかはT氏に任せたのだった。
4月初旬のある日曜日。仙台はまだまだ寒い。T氏と共に寮をでた。
「どこに行きますか?」
「佐々久はどうですか?」
「はあ、それは定食屋ですか?」
「まあ、行けば分かりますよ。ちょっと遠いけど」
それから、八木山の蜘蛛の巣のように入り組んだ複雑な道を、上っては下り、上っては下りして30分ほど歩いた。目的の店にたどり着く。
写真をご覧いただけば、それ以上の説明は不要だろうけれど、異様な圧力を持って迫ってくるようだ。恐怖を感じた。
「ここは、大丈夫なんですか?」
「いや大丈夫じゃあ、ないですね。」
といって、T氏はさっさとのれんをくぐる。私も仕方なく後に続いた。
店内は、予想に反して混雑していた。見たところ、客は全員学生であるようだ。視線が私の方へ集まった。新参者に対するきつい眼差しだ。席に着くと、T氏が「大関1CUP」の空き瓶に、水を汲んで持ってきてくれた。水着姿の外人が円筒状の水に透けて見える。
改めて店内を見回した。その様子を箇条書きにしておこう。
- 古い自動販売機が店内にある。「コショーデス」と張り紙がしてある。胡椒の自販機かと思ったが、それは違うだろう。
- 「営業5時5分前~」と張り紙してある。なぜ、5分前か?
- ラジオから落語が流れてくる。この時間帯に落語を放送する局などあったろうか?
- 昭和初期くらいの品と思われる古いスキー板が柱に縛り付けてある。
- 壁の所々から、釘が飛び出ている。
- 床は、むき出しのコンクリートである。
- 周りで、黙々と食べている方々は、皆、がっちりした体躯。
- 古いまんが本が並んでいる。たとえば「硬派・銀次郎」(本宮ひろ志)など。
- 全体的に、なんとなく油っぽい。
- 「大盛りは出来ません」と張り紙してある。後で感じたことだが、それは人道的に適切であろう。
壁に貼ってあるメニューを見た。
T氏は、お決まりのように「鳥の唐揚げ」を頼んだ。そして言った。
「鳥唐定とザーカイ定以外は、頼んではだめです。」
「そうなんですか。」
「ここにきて、飯を残した奴は負け犬。鳥唐定とザーカイ定以外を頼んだ奴は全部食べても初めから負け犬。」
「はあ、そうなんですか。じゃあ、ザーカイ定にしようかな。ザーカイってなんですか?」
と私が効いたとき、T氏の口元がややにやけた。
「頼めば分かる。」
「じゃあ、そうします。」
そうして、1時間あまりの時が過ぎた。ようやく、人の良さそうなおばさんが「鳥の唐揚げ定食」を持ってきた。私は思わず顔を引きつらせた。げんこつ大の唐揚げが五個横並びになっている。後で聞いたが、これは「手榴弾」と呼ばれているらしい。まさにそれである。ドレッシングのかかった大量の野菜。極太のスパゲティ…。とても食べきれる量ではない。
「間違って小盛りにしちゃったんだけど、良かったですか?」
とおばさんが言う。絶句した。
「そ…それが小盛りですか?!」
「そうですね。これでも昔に比べると、唐揚げも小さくなってしまいましたよ。」
T氏は遠くを見るような目で言う。僕は、ただ黙り込むしかなかった。そんな唐揚げを食べたら顎がはずれてしまいそうだ。
続いて、ザーカイ天定食が運ばれてきた。
「あはは…、こんなの食べきれないっす。」
ザーカイとは、鳥の天ぷらだった。お稲荷さん位の大きさの天ぷらが数えると、13個ほど山盛りになっていた。飲み屋に行って3人分くらいの天ぷらを頼んだらこのくらいだろうか。
僕は早食いには自信がある。けれども食べ終わる(といってもスパゲティを残した)のに、さらに1時間くらい要した。途中で煙草を吸ったりして休憩しながら、地獄であった。負け犬とは呼ばれたくない。以下、食べながら感じたことを、時間軸に沿って箇条書きにしていこう。
0分~15分:まだ余裕のペース。
* みそ汁はろくにだしをとっていないようで、変なにおいがする。
* ザーカイはまあ…食べられる。
* キャベツと大根に掛かっているドレッシングがまずい。これは後回しにしよう。
* スパゲティが猛烈に辛い。
* ご飯をもつ左手が重い。
16分~30分:この辺から、指数関数的にペースダウン。憂鬱感。
* 胃の膨らみ具合と、残った量を見比べて、憂鬱になる。
* でも、まだがんばれそうだ。
* みそ汁が冷たくなってしまった。旨くない。
* ザーカイは、まだ4個半くらい残っている。
* ドレッシングはやっぱりまずい。
* スパゲティがやっぱり辛い。
* ご飯が減らない。
31分~40分:地獄を感じる
* T氏は、ほぼ食べ終わった。
* 気持ち悪くなってきた。
* 無口にならざるを得ない。
* ザーカイがまずく感じられてくる。
41~45分:開き直り始める。
* 胃袋150%。
* ようやく、ザーカイを食べ終わるも、残っているサラダに愕然とする。
* 取り合えず、煙草を吸って休憩。
* スパゲティが辛くて喰えない。これはあきらめることにする。ごめんなさい。
* キャベツも多少残してあえなく終了。
ご飯は、残さずしっかり食べる。これは私の一つのポリシーとしてあるが、ここではそれを曲げるしかなかった。T氏は
「ザーカイを相手に、初めてにしてはよくやったんじゃないですか。」
と褒めてくれた。ザーカイは、上級者向けだったらしい。今度来るときはすべて喰わないと負け犬ですよと、念を押された。もう二度と来ないって。
逆流しそうな腹を抱えて、代金を払い外にでると、すでに日はとっぷりと暮れていた。仙台の1日は短い。見上げると星が瞬いていた。冷たい夜風が汗ばんだ肌をなでていく。いつもと違う、満足感。半ば自虐的な快感を覚えた。今度きたときは、全部食べてやると何故か思った。