禁煙の話

愛島通信の原稿から転載)
 野田山に着任してからの日々をふり返って、僕にとっての最も大きな出来事は、夏の終わりにタバコをやめたことです。 僕が喫煙者になったのは、22歳の春。一日平均20本強。今までに、累計して約5万5千本の紙巻きを、灰皿に押しつけつづけてきました。そんな僕が何故にたばこを止めようと思ったのかと問われれば、タバコというのは、不味くて臭くて、実にイヤな代物だからです。一日の間に一本くらいは、おいしくて心安らぐ場合もあるけれど、残りのほとんどは「何が楽しくて、こんなものを吸っているのか?」という苛立ちとともに、毎日もみ消していました。けれども禁煙に突入しタバコを吸わないでいると、体内から抜けていくニコチンとともに、その不味さの記憶も薄くなっていきます。そうして、あの日青空の下で吸った、実に甘美だったあの煙のことだけが、しきりに思い出されてならないのです(実に辛うございます)。その記憶に背中を押されて、ついついタバコを口にしてしまいます。  禁煙は、2006年の9月1日から始めました。それから3本、タバコを吸いました。その3本のことを、思い出してみたいと思います。

 一本目。9月16日。29歳の誕生日の夜に学生寮に泊まる。点呼が終わって静かな寮官室は、古びた畳のにおいに満ちている。この空間にまだ慣れず、居心地の悪い気分をかき消すつもりで、机に向かいパソコンをいじくる。しかしすぐに飽いて、何の気もなしに引き出しを開いた。そこには何故か、未開封の緑色のマルボロと、100円ライターがしまってあって、僕は次の瞬間にはもう先端に火をつけていた。そのタバコはかなり古かったようで、本来の強いメンソールが完全に湿気っていた。そして実に不味かった。ひどく後悔して、すぐに歯を磨いた。
 二本目。11月7日。4年生の見学旅行の引率で、大阪にやってきた。M4の学生たちと関西をあちこち回り、慣れないスーツに肩が凝り、疲れ果てた。夜、神戸市波止場町の高級なホテルに泊まる。用意された部屋は29階。ツインルームのシングル使用で、窓から港の夜景がすばらしい。シャワーを浴びて、王様のような大きな気分になってしまい、さっき一階の売店でこっそり買ったキャスターを一本取りだす。夜景を前にぷかぷかと吸ってしまった。しかし実に不味く、ひどく後悔した。
 三本目。12月14日。今月から始まった5年生向けの授業の準備の貯金が、だんだんと減ってきた。前日、遅くまで学校に残って「ストークスの解」の結果をうまく説明するにはどうしたらいいかなと考えていた。演習問題までを作り終えて一段落した頃には、すでに日付が変わっていた。そそくさと帰る準備をして、野田山を自転車で下る。田んぼの中の真っ暗な道を走り終えると、青いコンビニの明かりが強くまぶしい。するするっと中に入ってキャスターを買ってしまった。家に帰ってガスレンジで火をつけ、換気扇の下で背中を丸めて吸った。実に不味く、ひどく後悔した………

「はじめの3日間で、体内に蓄積していたニコチンは、おおよそ流れ出る。」とどこかで聞いたことがあります。だから苦しいのははじめの三日間だけだと。僕にはそれが信じられません。よしんば、ニコチンが体から無くなったとしても、喉を通る煙の味と臭いの記憶は、一生消えないと思います。僕の場合、5ヶ月(2月1日現在)たった今でも、まだタバコがほしくなります。ですから禁煙は、どこかで「成功」するものでは決してなくて、生涯の間だらりだらりとつづく淡い拷問のように、僕には思えます。本当の「成功」は、僕たちの体が呼吸を行わなくなったときに、はじめて判定されるのでしょう。  ある非喫煙者が、ある時からタバコを吸い始め、喫煙者になる。その彼(彼女)がタバコを止めたとしても、非喫煙者に戻れるわけではありません。「禁煙者」になるだけです。禁煙者は一生禁煙者のままで、非喫煙者には戻れないのです。そうして人生の節目節目で、いろいろな出来事に心が揺らげば、きっとその揺らぎに比例した強さの喫煙衝動がわき起こってきます。僕はその衝動と、一生戦い続けなければならないのだろうと、いつも想像しています。  興味本位でタバコを吸い始めるのは簡単ですが、すでに述べたようにタバコというのは実に不味く臭く、いつか必ず、止めたいと思うようになります。しかしその後は、「禁煙者」としての淡い拷問が一生続くのです。僕は、この小文を最後まで読んでくれた学生さんが「半端な気持ちでタバコを吸ったら、後々大変かな」とすこしでも感じてくれたらな、と思っています。