バーコードヘアの成立に関する一考察

先日、今年度いっぱいで退官されるA教授を囲む飲み会に参加した。酒席で、僕が未だに学生のように見え、紛らわしいという、いろんな人に何度もいわれている話題になった。A教授は言う:
「ちゃんと背広を着て、髪型もチャンタにしておけば、学生に間違われることはないんだ」
「え、チャンタってなんですか??」
チャンタって言うのは、麻雀の一九字牌のことだよ。つまり一九分けにしろってことだ。」
スーツを着て、一九分けなんていうとんでもない髪型にしたら、学生に見えないのは当たり前である。そんなスタイルは、殆どコントの登場人物だ。ワケル君だって精々七三くらいなのに。
でも団塊世代まっただ中のA教授にとっては、一九分けは自然な髪型なのだろう。確かにA教授は一九分けだった。


ところでバーコードヘアというのは、一般的には、頭頂部の髪の毛が薄い事をごまかすための一手法である、というのが一般的な解釈だと思う。しかしあれは、一九分けのヘアースタイルが、そのまま薄くなったもの、ともいえる。むしろ後者の解釈の方が、正しいのではないかと思い至った。

つまり、こうだ。頭頂部の髪の毛が、薄くなってくる。じゃあというので、床屋さんに

「横に豊富に髪があるじゃないか、そいつを上に持って行きなさいよ(バーコードヘアでお願いします)」

と頼むわけではない。そういう人は潔く、五分刈りにするだろう。

世の中のすべてのバーコードヘアは、かつては一九分けの、A教授のようなきわめて剛直真面目なヘアーだったに違いない。それが薄くなる。薄くなっても、団塊世代の、保守的で剛直真面目なそのひとは、一九分けに固執する。その結果、あの、バーコードヘアができあがるのだろう。

結論:バーコードヘアというのは、○ゲを誤魔化すためのものではない。もともとああいう髪型であったのだ。