ダッカンコーフィー

ダッカンコーフィーとは、「脱缶コーフィー」という用語を欧米人風にシラグルを省いて発音した僕の造語である。僕はいま、日に3本弱(平均2.5本くらい?)の缶コーフィーを飲用する現在の生活から解脱しようと考えている。その理由は、あとでくどくどと述べるとして、ともかく、僕の缶コーフィー依存歴は長い。

そもそものきっかけは、17歳の夏、コーフィーの空き缶を収集し始めたことであった。収集は直ぐに飽きてやめてしまったのだけれど、僕の身体には重い缶コーフィー依存症が残った。それから13年、単純計算にして

   13年×365日×2.5本/日=11863本

の缶コーフィーを飲み、累積して約130万円を自動販売機に投入し続けてきた。身震いするような数字である。

缶コーフィーを沢山飲んでしまうのは、それが美味しいからではない。僕は、コーフィー豆をミルで挽いてドリップして飲むコーフィー通であり、豆にも道具にも味にも香りにもこだわりを持っている。そして、僕に言わせれば、缶コーフィーはコーフィーとは別種で、あんまり美味しくもない飲み物である。

缶コーフィーに依存してしまう理由は、コーフィーそのものとは別の所にある。つまり僕は、自動販売機まで歩いていく、散歩が好きなのだ。そして、硬貨を入れて光るボタンを押すと、ガシャンと缶が落ちてくる、あの感触が好きなのだと思う。仕事が充実しているとき(めったに充実しないけれど)、その合間に缶コーフィーを買いに行くあのひとときの安らぎは、人生の最上の時間だと思っている。


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しかし、人生最上の時間を一日3回も味わう必要など無い。馬鹿みたいに一日3本も缶コーフィーを飲む生活から脱却したいと思うようになった。

もっとも大きな理由は、ゴミである。僕の仕事場には一斗缶を再利用した缶コーフィー専用ゴミ箱がある。それはだいたい、一ヶ月もすると満タン(三角格子状に最密充填して約60本)になり、異臭を放つ。乾いたコーフィーの飲み残しが、ドス黒いタールのようにベッタリと残って、イヤな臭いがするのだ。僕の身体の内側にも、きっと1万本分の缶コーフィーの「タール」が、ベッタリとこびりついているのだろう。

この一斗缶に詰まった沢山の缶を処分する時、たった180ccのコーフィーを飲むたびに、缶一個のゴミを排出するという効率の悪さを実感する。自室でコーフィーを淹れて飲めば、僕の部屋から出るゴミの量は激減するだろう。こんなに沢山のゴミを出していては、分別やリサイクルをこまめにこなしても何の意味もないと、思うようになった。

今年の秋は、缶コーフィーをれ減らして、自室にレギュラーコーフィーセットを据えることにしよう。加湿器などもおいたりして、すこしだけ、オフィスを快適に改良する計画が楽しみである。