春と、不安の条件反射

土曜の夜には、友人の結婚パーティがあって、遅くに帰宅。翌朝は寝不足で体調が万全ではなかった。けれども仙台でいろいろな所用を済ませるために、お出かけした。

車で八木山周辺を回る。しかしめあての店が潰れていたり、定休日だったりして、しようと思っていたことが、全く果たせない。車の中で「じゃあ、余った時間に何をしようか」と考えあぐねて、その場で思いついたことを、一つ二つと行動に移す。そんなで、すっかり疲れてしまったのである。

少し汗ばむくらいに暖かい日だった。強い季節風のために黄砂が舞っていて、空が黄色くどんよりと曇っていた。今年の春から仙台で暮らすのであろう、新生活の人々が、あちこちの集合住宅で引っ越し荷物の運び入れをやっている。もう冬も終わったな、と車窓を眺めながら思った。

夕方になって、気温が下がる。移動に疲れて、おなかも空いたので、お茶の井ヶ田の喜久水庵でお茶をする。そうして店の中で、僕はなんだか無性に不安な気分になってしまった。不安になった理由は、その時はよく分からなくて、その分、その不安の印象が、強く残った。

春というのは大概、新しい生活に入る不安な季節だ。あたたかく、埃っぽいような空気を肌が感じて、海馬当たりの「不安な記憶」がよみがえってきたのかもしれない。つまり条件反射で不安になったのだろう。単に疲れていただけかもしれないけれど。