将棋の究極の記譜について妄想

以前も書いたけれども、もし、究極の将棋神みたいのが二人いて、対局をしたらと考える。結果は、先手必勝か後手必勝、もしくは千日手になるだろう。将棋の棋譜は、100!とか200!の場合の数があると言われているけれど、それは膨大なミスを含んだ値である。絶対にミスをしない将棋神どうしの対局では、棋譜の種類は数通りしかないか、ひょっとしたらたった一つなのかもしれない。

だとしたらとてもロマンチックだ。将棋神は、何度やっても同じ対局を繰り返すだけである。その棋譜の中身を、人類はいつか見出すことが出来るのだろうか?(たぶん無理だろう)しかしそれは、確かに存在はしているはず。なにか、究極の美みたいのが宿っていそうな感じ。

また、もしその究極の棋譜千日手だったとしたら。ふつうの千日手は指し手が循環することであるが、究極の千日手は、無理数のように不規則な、永遠の羅列である可能性もある。だとしたらその将棋は、もはや王将を取ることを目的としておらず、素人目には将棋のルールを忘れ去ったように見える、奇妙な二人の対局であるかもしれない。中島敦の「名人伝」みたいな話になる。