一杯のかけそば

というフィクションが、昔大流行したことがあった(調べてみたら、1988〜1989年のことだった)。あれは程度の低い作り話であったものの、あのような異常なブームが起こったのは、当時の大衆の気分にピッタリとはまる何らかの要素を「一杯のかけそば」が含んでいたからだったろう。

現在では、いろいろな人の興味が様々の分野に分散しているせいか、あのような珍妙な大流行は少なくなった。そのかわり、珍妙な「小流行」なら、インターネットの中で頻発するようになっている:
 「母親が13歳の息子に携帯の契約書を書いた」という話が評判になっていると、日曜日のワイドショーで見た。携帯が嫌いな僕が読んでも、"ふぁっきん、しゃーらっぷ!"と叫びたくなるような内容であった。しかし、携帯へ依存してしまうこと、あるいは、身の回りの物事が急速に便利になってしまい、それに無批判に乗っかってしまうことへの恐怖は、現在の多くの人が共通項として潜在的に感じていて、そのせいでこういう記事が多くの共感を生むのだろう。そこには、一杯のかけそばと似た構造がありそうに思う。