感謝の気持ち

昨夜眠る前,先日実家に帰った時に母親と交わした会話のことを考えた。

母:「今のお前があるのは,もう母さんのお陰なんだからね。」
僕:「ああ・・・」

と言う会話。たぶん,日本中のほとんどの親子は,これと似たやり取りを,一度は交わした事があるだろうと思う。しかし,中島義道も書いていたけれど,相手に感謝の気持ちも持つことは大事だとしても,その感謝の気持ちを他者に要求するのは横暴であって,そういう事を平気でする人は鈍感なのだと思う。
 今の僕があるのは,半分くらいは僕自身のお陰であって,1/4くらいは母親のお陰かもしれない。残りの1/4くらいは,僕の周りの不特定多数の人々の寄与であるとおもう。けれども,その不特定多数の人々は僕の為にそれを成したのでなくて,ただ彼らが振る舞いたいように振る舞って,その結果が偶然(?)僕の利益に繋がった,と言った方がしっくり来る。この事は,僕の母親が,今まで僕にしてくれた事にも当てはまる。
 根本的には,母親のお陰で僕はこの世生まれて来たのだけれど,「生んでくれて有難う」なんて,僕はこれっぽっちも思わないし,思った事も無い*1
 そういう事を母親に解ってもらおうとすると,「お前は頭がいいし,私は年を取って頭が鈍って来たからお前の言う事は解らない。私の言う事は,『うんうん』と生返事をして流してくれれば良い」と,いつも逃げられてしまう。そんな訳で,僕は母親とは永久に理解し合えない気がする。最近は,お盆休みや正月に,実家に帰るのが,何だかおっくうである。

*1:生まれてきたことを呪っている訳ではない。「生んでくれて有難う」という台詞は,特に結婚式などで良く聞く。しかしこれは論理的におかしいだろう。僕には,上っ面だけの意味のない言葉にしか聞こえない。