沖縄マジック

9月の末、弟が沖縄で結婚式を挙げることになり、家族といっしょに出席してきた。僕は、一人くらしの母親を熱海まで向えにいき、羽田から那覇へ移動。滞在期間に1日だけ余裕をつくって、南国をたのしむ。弟の式に感動。

しかし、仙台に残してきた仕事の一つに大きな「抜かり」があって、iPhoneに連絡が入る。その抜かりに落ち込んだ。くよくよ悩むタイプの僕は、陽気な南国にいて、どうしても立ち直ることが出来ず、暗澹。

そのまま帰路につく。身体の疲労以上に、ストレスで心がやられた感じを引きずって、母と二人で羽田に向かう。母は隣で疲労の表情で眠っている。正面には壁掛けの液晶画面があって、機外の映像が映し出されている。雲や海がゆっくり移動している。
「これで人生の一幕がとじたなあ」
という感覚を強く持った。

これまで、自分が就職したり、あるいは結婚し、子供が出来たりと、幕はいくつもあった。けれどもそのときは、今後の展開に心を奪われていて、その「幕がとじる感覚」にほとんど気づかずに素通りしていた。あるいは、それらは幕が開けたという感覚であって、とじた感覚ではなかったというべきか。

弟の人生の新しい幕が開けるのをみて、僕自身の一幕がとじる感覚をはじめて感じた。悪い感じではない。

36歳になった。今後は息子が成長し、結婚したり就職したりしていく様を見ていく。また身近な人たちとの別れもある。今日のような「幕が閉じる感覚」を一つ一つ通過いくのだろう。いっぽうで自身の人生はだんだんと単調になっていく。そうやって、その先にある死を、受け入れられるようになるのだろうか。

最近、母親と電話で話すと「もうこれでいつお迎えが来てもいいね」とよく言っていた。しかし沖縄では、オリオンビールを飲んで楽しげに、
「85歳までは生きて、孫の成長を見たい」
と、肉をバンバン食べていた。これは沖縄マジックか。