暮れのご挨拶
昼休みに母親が突然電話をかけてきて言う、
「(お前は今年ようやく月給取りになって)今月、初めてボーナスをもらうのだから、今まで特にお世話になった方にお礼をしなさいよ」
ああ、言われてみればごもっともである。これは、僕ひとりでは到底思いつきもしない発想であって、まだまだ自分は半人前だな、こんなんではイカンと反省した。同時に
「こういうのを『暮れのご挨拶』とか『お歳暮』というのか。」
と、いま初めて発見した気分であった。
ところで、お世話になった方としてすぐに思い浮かぶのは、学生時代の指導教官のHさんと、名誉教授のYさんである*1。
Hさんの大学の居室へ暮れのご挨拶に伺うことを想像すると、困惑する。まず、お歳暮をもってHさんの教官室に入れば、「何をしにきたの?」という反応が返ってくるに違いない。「僕も社会人になりまして、今日はお世話になったHさんに、暮れのご挨拶に伺いました」なんて言おうものなら、「こいつ、頭がおかしくなったんじゃないか?」と思われるのがオチだ。そういう関係なのである。
Yさんの場合、もっと困惑する。「そうか、そうか、わっはっは!」といってお歳暮は受け取ってくれると思うけれど、そのことは数分後には忘れ去られて、ただちに最近の固体電子論の研究に話題がうつる。投稿したばかりの論文の話や、ハバードモデルとクーロン相互作用の問題や、最近Yさんが恋人に送ったという詩の朗読をきいたり、そのまま高級料理店にいって、何時間も物理の熱い話を聞くことになるだろう。
とにかく大学院の研究室は、お歳暮のような日本的な格式張ったしきたりとは、まったく無縁のところで、お世話になったHさんとYさんに「暮れの挨拶」へ伺うのは、気が引ける。
母親の助言は正当だろうけれども、どうしたものかと考えあぐねている。