南国旅行

然り――。私は今もそれを信じてゐる。坂の向こうにある風景は、永遠の『錯誤』にすぎないといふことを。(萩原朔太郎「坂」)

九月も終盤に近づき、32歳になった。僕は、あと40年は生きるであろう残りの人生全体の事や、家族のことなどを総合的に考えた上で「南国のリゾートへ遊びに行かなければならない」と決断した。そこで一月前、お手頃な位置のグアム島に3泊4日の旅行を計画したのです。

ぼくは、「なるほど!ザ・ワールド」のリポーターが、コバルトブルーの洋上で小舟に引かれ「きゃー」などと叫びつつパラセイリングをする様子や、またはサマセット・モームの小説などを読んで、幼少の頃から南国にあこがれていた。けれど、このこと自体は誰にとっても特別なことではない。珊瑚が分布するエメラルドグリーンの海をふわふわと泳いだり、夕闇の迫るビーチを海岸線と平行に散歩したり、生きているうちに一度はやっておきたい。

しかし現実は悲しいのである。まず、ああいった世界有数の観光地では、さまざまな店が観光客に金を出させようと全力投球で挑んでくる。たとえばレストランでは、唐突にフラガールがやってきて一緒に写真を撮られる。頼みもしないのに、簡易なフレームにはめられた写真が現像されて15ドル請求される。

「飲み物はいらないですか?」とウエイターに聴かれ「もういらない」と毅然と応えたら、彼はさらに「ではMizuはいかがですか?」となおも日本語で勧めてくる。しかしそのMizuなるものは、Aqua Pannaとか名付けられた、日本で言うところの六甲の水のようなもので、のちにレシートを見れば


Aqua Panna $9.90

なんて、うんざりである。

100ドルを払って、パラセイリングもしてみた。船着き場で、日本人観光客たちは1ダースずつ束ねられて船に乗せられ沖まで移動。船酔いが回ってきた頃、順番にかごに乗ってほんの60秒ほど、空に浮くだけである。また、エメラルドグリーンのビーチは、実際にはナマコがうようよしていて気色が悪かったことには、もう笑ってしまった。

自動販売機に120円を入れても、機械の不良で飲み物が出てこなければ、どんなお金持ちでもムッと不愉快な気分になるであろう。僕らのような中流の人間は、旅先で「気にしない気にしない」と懸命に自己暗示をかける。けれど観光地では、上記のさまざまな大小の「ぼったくり」が楽しもうとする気分に一々水を差してくる。

であるから僕は教訓を得た。旅に大きな喜びを求めてはいけない。なるべく一流の観光地を選ばず、二流三流の観光地で中くらいの楽しみを求めるべきだ。たとえば美しい静かな街に宿を取って、特に見る物はないけれど、そこに住む人々と同じ休日の過ごし方で、数日の生活を疑似体験するなんてのがよいのじゃないか? またはNHKの「世界ふれあい町歩き」みたく、ただ街を散歩するだけで、ピラミッドやグランドキャニオンを見るなんて目的を立てないこととか。次回に海外を旅行する機会があったら、そうしてみたい。
(写真:ファイヤーダンス)